ブログパーツ
カテゴリ
タグ
日々のつれづれ(150)
その他(102) わたし(77) 恋(66) 音楽(61) 記憶(51) 311、放射能汚染(44) 煙突娘(42) 神輿(18) 美術・アート(10) 代田橋(8) 紫陽花(7) くちづけ(4) 備忘録(1) 夢(1) 最新のトラックバック
最新の記事
以前の記事
2017年 08月 2016年 08月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 10月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 08月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 フォロー中のブログ
外部リンク
ライフログ
検索
links
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
集めておいた煙突籠城騒動の新聞記事100件ほどをデータにしていく作業をやっと始める。紙面一面をA4でコピーしてしまったので文字が小さく(このためだけにわざわざ天眼鏡まで買った)、面倒臭くて後回しになっていた作業。 初代煙突男と呼ばれる、煙突男の中ではいちばん(というか唯一)有名な1930年富士瓦斯紡績川崎工場での騒動の記事から始まるのだけれど、面白い話をいくつか見つける。 まず、初代煙突男・田辺潔が煙突上で山田という偽名を名乗ったあと、お兄さんで社会学者、当時日大講師だった田辺寿利氏が「あれは弟ではないか」と名乗りを上げた最初の記事。 煙突ろう城開始は11月16日午前5時。寿利氏は20日に現場と川崎署に出向くのだが、そのとき、長兄の悌三氏と古野清人氏という人物を伴って現れる。 当時の新聞記事には古野清人氏と一度名前だけしか登場しないものの、古野清人氏とは宗教社会学者の古野清人氏ではないだろうか(もしそうだとすると、当時31歳)。寿利氏とはどういう関係でどこで接点がありどういう経緯から一緒に行くことになったのだろう? それから、田辺潔をそそのかした人物。 当時の新聞には「赤柴こと杉田鶴吉」とあり警察に検束されてもいる。だが、のちの「月刊総評、1977,4月5月合併号」の「戦前の労働争議Ⅰ石原美行氏にきく」という連載記事では、石原美行氏が田辺潔に煙突ろう城の話をもちかけたことになっており、「NHK歴史への招待#21昭和編」という歴史番組を本にしたものでは、はやり石原美行氏が自分が持ちかけたと証言していて、ほかに富士紡川崎の争議団員だった黒沢信市氏が、飲みながら田辺潔と煙突ろう城の話をしたと証言している。 杉田鶴吉氏については当時の新聞記事に田辺に4円渡して上らせた、とあり、他の2人は金銭の授受はなし。また、黒沢氏の場合は、酒の席で、上ったらさぞや面白いだろうというような話をしたところ潔は異常に乗り気だった、という程度。 当時の新聞記事は今と違って、記事中に登場した人物の住所が書いてあったりするのだけれど、杉田氏の住まいは田辺潔と同じ町(横浜市中村町)ということになっていて、潔と杉田氏の関係はどうだったのか。潔もはじめ山田と名乗り杉田氏も赤柴という偽名を使っていることから、当時労農党の幹部だった石原氏などとは違い、杉田氏も潔と同じ労働運動の言ってみれば末端の活動家だったのではないか(石原氏は、潔は同じ労農党の仲間のところに寄「食」していた、とも言っているが、これはその人のところへメシを食べに行くのを常態としていた、ということなんだろう)。 まあ、石原氏が歴史への招待で語っているところによると、当時の富士紡川崎工場のその煙突はよほど目立つ煙突だったらしいから、争議のなか単なるネタとしてあの煙突に上って赤旗降ったらさぞや…っていう話がそこここから持ち上がってもおかしくはない気もするのだが、けしかけた人は果たして誰なのか。 石原氏は月刊総評で、まるで自分の手柄みたいに話しているような気がするし、そこには、自分がもしけしかけていなければ潔を死に追いやらずに住済んだのかもという感情は微塵も感じられない気がして、ちょっと反感を抱いてしまうし、石原氏の話では、煙突に上がることで争議を勝利に導ききちんと下ろしてやるところまで計算ができていたことになっているが、果たしてそうだったのかという疑問がわく。何故なら実際の争議解決に導いたのはお召し列車が通るという切羽詰まった状況があったから警察や会社が妥協せざるをえなかったからで、石原氏はお召し列車通過を前もって知り得ていたわけではなく、石原氏の頭にどういう解決の絵が描かれていたのかはなはだ疑問だから。 杉田氏は実際に4円渡したと言っているし(ただまあこれは言ってみれば警察発表ということなんだろうから、でっち上げという可能性もあるかもしれない)、両方そうだったのかもしれないしどちらかが違っているのかもしれない。 あと、やや些末な話だけれど、煙突ろう城中の潔と朝日新聞記者が一問一答したさい、記者が煙突に上ったのは潔が日本で2人目でさぞや残念だろう、だがろう城時間はあなたが一番だ、と語っているところ。 それからNHK歴史への招待に書かれている、川崎の前のアメリカの煙突男の話。田辺潔が煙で真っ黒になりながら空や食わずで耐えたのに対してアメリカのそれは音楽を聴いたり好条件?だったという下り、とか。 NHK歴史への招待がそうなのだけれど、田辺潔の死が謎の死だったことから、初代煙突男の一件はそこへ集約していくような構成になりがちなのだけれど、ワタシ的には以上のようなことを興味深く思った。
by fumi2324
| 2014-02-17 19:58
| 雑文
|
ファン申請 |
||