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ブログを移転しました。 「もうハニカまない構造体」 世の中にブログというものが登場し、それまでホームページビルダーだのでホムペをコツコツ更新していた私がブログというものの存在を知り移行した最初から、私は殆どずっとエキサイトブログのユーザでした。その当初から今までの時間は、とりもなおさず、私が性転換してから今までの時間とほぼ重なります。 よそのブログサービスに移ろうと思ったのはほんの気まぐれなのですが、それでも、その気まぐれの奥底には、私の気がつかないところで、もしかしたら、人生のひと区切りという気持ちがあるのかもしれません。 エキサイトのブログに書きなぐったいろんなこと、思い出がいっぱいあります。 ありがとう、エキサイトブログ。 #
by fumi2324
| 2017-08-06 18:14
| 雑文
今年の6月、生まれて初めて障子の張り替えをする。実家の障子。事前に何人もの人にやり方を尋ねると、誰もがごくごくあっさりとした答え。しかも私が張り替えようとしているのは仏間だけ、2間分というのだろうか、2か所きりなので、世間的にはまったくもって大騒ぎする話などではないのだろうが、何しろ生まれて初めて、それもひとりでの作業なので、不安で不安でたまらない。 私が小さい頃、おばあちゃんが障子の張り替えをしていたのだけれど、私は障子を破る係。思う存分破らせてくれて、今回、障子というのは破ったりしないで全体に水を含ませぺろんと剥がすのがいちばん簡単と教えられ、おばあちゃんは大変だったろうなあと、割烹着姿のおばあちゃんを思い出す。 ちょうどその障子の張り替えに悶々としていた頃、タブレットに入れてある大量の画像の中から10年前に何の気なしに実家の中を写したものを見つけて愕然とする。当時と大して変わりないはずなのに、その写真と今見る光景の何かがまるきり違うのだ。写真の中の様子からはたしかに伝わってくる温度とか湿度みたいなものが、今いる実家の中にはまるきり感じられないのだ。よく、時間が止まったままというような表現があるけれど、止まっているのでもない、そもそも時間もない世界。実家に帰ってそんな世界にいる自分。実家と東京を往復して、あの世とこの世を行ったり来たりしているような、そんな感覚。どのくらいだったろう、そんな気分でいたのは。 今はというとそうでもなくて、実家は私の現実の連続した一部。好むと好まざるとにかかわらず。 教えてもらったとおり、張った直後しわしわだった障子紙は、霧吹きでしつこいぐらいに水を吹きかけてそれが乾くとウソみたいにぴいんときれいになっていて、それもなんだかなあと思う。
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by fumi2324
| 2016-08-07 05:36
父の一周忌が無事に終わる。 無事にと言ったところで、いったい何を心配していたわけでもないのだけれど、父が亡くなる前は親戚付き合いのオモテになんて全くといっていいほど出たことがなかったせいで、やっぱり親戚が集まる、それも言ってみれば法事なんていうオフィシャルな場を主催するというのは、それだけでなかなかに神経をすり減らしたりすることでもあったりする。まあ、私の年齢からしたらごくごく当たり前のことではあっても。 当日、お天気も良くて、お寺での法事のあとお墓参り。お墓にあげようとお水とお茶のほかに私は缶コーヒーと栄養ドリンク、お菓子を準備していって、さりとていまの墓地はカラスが荒らしたりゴミ問題が厳しいので口を開けないでそのままお墓に供えようとしたら、参列してくれた親戚のおばさんのひとりが「ちゃんと口を開けてあげないと仏さまが飲めないでしょ」って言って、私の感覚だと亡くなった人はフタなんか開けなくても超能力みたいなもので飲めるような気がしていたので(正確に言うと、飲むというより時間をかけて舐めるイメージ)、ということはつまり私が実家を留守にしいている間、いつもきまって果物のかわりに仏壇にあげてくるフタをしたまんまのゼリーなんて、仏さまからしたら「おいおい開けてくれないと食べれないじゃないかよ」って感じなんだろうか。納棺のとき、死出の旅に旅立つその間の食料だというそれが木の実だと聞かされてちょっと絶句したものだったが、だったら今さら栄養ドリンクやお菓子やお酒じゃないような気もするし、あの世の人と付き合うっていうのは難しいものなんだなあ。 一周忌が過ぎたと思ったらもうすぐ初盆。父の好きなものっていうと、やっぱり缶コーヒーだのお酒しか思い浮かばない。あとモツ焼きとか。ぜんぜんお盆っぽくない。 ところで画像。東京のとあるチェーン店らしいお花屋さんの店先にあったもの。これってただのそれっぽいお盆風のかわいい飾り、という感じなんじゃないのだろうか。というかそもそも、これ、敢えて言うなら盆棚じゃなくてむしろ精霊棚的な何かなんじゃないだろうか。 よくわからない。
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by fumi2324
| 2016-08-06 18:51
去年、新国のニキ・ド・サンファル展に行く。 美術は門外漢なのだけれどつまみ食い的に心動かされるというのか好きなアーティストというのはいて、なにしろつまみ食いなので脈絡がないのだが、たとえば井上安治、マックス・ワルター・スワンベリ、レメディアス・バロ、岡本太郎。つまみ食いなのでこれまた作風とかで変遷を辿ったようなアーティストだと時期とか仕事で好き嫌いがある。岡本太郎だと、太陽の塔とか立体の作品と60年代だかに日本のあちこちで撮った民俗的な写真とか。 ニキの場合だと圧倒的に、後期?のナナに代表される立体造形。見てるとなんだか元気をもらえるような気分になって、しかもとても切ない。この私が感じる切なさがどこから来るのかはよくわからないのだけれど、見てると涙が出てくる。この日も、見ててなんだか泣けてきた。図録のほかに卓上カレンダーだのクリアファイルだのグッズを購入。卓上カレンダーはいま実家の玄関を飾っている。 ところで話は違うのだけれど、スマホとタブレットで日本語変換のATOKをお試し中。まだまだ慣れないのだけれどとにかくカスタマイズができるところが吉、が、この先も使い続けるかどうか。データの整理とか書き物をするのになにはとにかくオリジナルの辞書にたくさん登録できるものでないと使いものにならなくて、今のところATOK一択といった感じで。 IT企業というと多国籍というイメージなのだけれど、日本語変換なんかはやはり日本語を母国語としている人々が磨きに磨いて作らないといけないんじゃないかと思えて、WindowsでOSのお知らせに出てくる日本語も何かおかしいものもあったり(これ、話題になってないけれど、おかしいところがあると思う)、そのへん、ちょっと信用してないというか。それもあって、ジャストシステムさんのことは企業としてはよく知らないけれどATOKなんかMS-DOSの頃から知っている名前だけに、やっぱり餅は餅屋というのか、老舗かなあ、と。ジャストシステムさんには本業?で頑張って欲しいです。 #
by fumi2324
| 2016-02-09 18:53
今回の帰郷最後の日、親戚のおばさんにクルマで吉里吉里に連れて行ってもらう。 おばさんは宮古市内でも市街地より海岸線沿いだいぶ南側の地域に住んでいて、だから私の実家から出発するよりいくらか近いとは言っても、それでも30キロ以上あると思われる。津軽石より先、豊間根、山田、船越を過ぎて大槌町吉里吉里。子供の頃、お母さんに連れられて汽車で釜石に行った、とか、友だちと自転車で豊間根の製材所にカブトムシを捕りに行った、とか、震災よりずっとずっと前の何度か、帰郷するのに新花巻から釜石線、山田線経由で帰ったことがあって、でもそれでは海岸線を通る頃はもう日が暮れていたか。いずれにしろ、車中から見る景色は初めてではないはずなのに、新鮮な景色ばかり。海沿いで生まれ育った人にとって、湾の入り組み方とか海沿いの山の形とか島の位置とか、それらすべてひっくるめた海の風景って、原風景というのか、一種変えがたいこころの奥底のかたちの一部のようなものなのではないかとも思えて、だから、宮古の市街地に生まれ育った私には市街地からも見える、宮古湾の深い入り江沿い向かい側にある重茂半島の月山という山の形がまずあって、へええ、山田の人はこんな風景を見て生まれ育ったのか、なんて、さいきん知り合った山田出身の人とか高校時代に山田から通ってた友だちの顔を思い浮かべてみる。お昼ごはんをまだ食べていないというとおばさんが山田のお店で牡蠣の天ぷらののった美味しいうどんをおごってくれる。震災前、私がまだ十代の頃はJR山田駅を降りると商店街を抜けて何百メートルもなくすぐ岸壁に突き当たったはずで、そのへん仮設営業をしているお店とか重機とかひっきりなしに行き来するダンプカーとかまだまだ復興途上の風景を見る。 吉里吉里に行ったのは、おばさんの認知症の配偶者、つまり私のおじさんが2週間ほど前に宮古市内、私の実家の近くの病院から吉里吉里の施設に移ったためで、そういう場合次の入居にはものすごく時間がかかると聞いていたので、前の晩に電話で聞いたときにはちょっとびっくりした。吉里吉里の高台にあるその施設は中も外もものすごく立派で、病院にいた時よりおじさんもだいぶ状態が良いみたい。車イスに乗ったおじさんを囲んで私とおばさんがお茶をいただいていると、私のことをよくわかっていないような様子のおじさんが自分に出されたお茶菓子を私にも勧めてくれたのにはびっくりした。 画像は「くじら山」をその施設の敷地から。おばさんが若い頃には山登りが好きだったと知ったのは父が入院していた頃で、立山にも登ったことがあるそう。お年を召してなおアクティブなおばさんにはさもありなん、といったところ。このくじら山にも何度か登ったことがあるのだそうで、私はこの山の存在も名前も初めて知った。もしかしたら三浦富士とか黒森山と同じように、漁師さんたちが海からその山の位置をもとに漁場を特定した山ということなのかしら。おばさんによれば山の頂上にやっぱり祠があるらしく、どういう神様が祀られているのだろう、山の名前がどうしてくじらなのかはわからないが山岳信仰と豊漁祈願が混じったような意味合いの祠があるに違いない。おばさんによれば標高は500メートルくらいではないかというのだけど、いつか登れたらなあ。くじら山。山の名前に惹かれた。 #
by fumi2324
| 2016-01-29 19:42
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